信長にあっさり切られてしまった官兵衛でしたが、それ以上に追い込まれたが高山右近で、荒木を裏切らなければ、尽くキリスト教を潰すということは、敬虔な信者である右近は相当きつい状況に追い込まれました。
摂津伊丹
右近にとって深刻だったのは、キリスト教の問題の他に、長男や妹達を荒木に人質に出していることであり、右近が信長に降伏をすると、人質が殺されるということでした。
右近はこの状況の救いを求めるべく、深く帰依していたオルガンチノに相談をしました。一方で信長からもオルガンチノに連絡があり、天神馬場まで来てもらいたいというもので、信長からのメッセージとしては右近を裏切らせろと。それができれば右近は優遇し、キリスト教の繁昌を保証するということで、まずは高槻城に行き右近を説得するようにというものでした。これには同行者もいて、いずれも右近よりは上位者で、顔ぶれは佐久間信盛、松井友閑、大津伝十郎、羽柴秀吉でした。
様々な説得の結果、右近は身分と城を捨てて、一回の庶人となり、高山家の当主の座も父に返してしまうということでした。そして、オルガンチノに付き添われて現れ、その姿は身に付けているものは家臣に与えてしまい、頭を剃り、粗末な紙衣を着ただけの状態で、さすがの信長も驚くと同時に、大いに喜び、自分の刀を与え、右近の旧領2万石を安堵した上、更に2万石を加増しました。
一方で竹中半兵衛は、信長に官兵衛の潔白を訴えたものの、一喝され、やむなく松寿丸のいる近江長浜城に向かいました。長浜で松寿丸と会い、そのまま半兵衛の城である美濃の菩提山城に向かいました。
また、中川瀬兵衛については、あれだけ村重に信長と敵対せよと言ってたにもかからわず、あっさりと村重を裏切ってしまいました。この辺りが何か人間が見える感じがして、僕はあまり好きじゃないですね。
結局高槻城、茨木城は織田方になり、荒木はアナに入ったくまのようにいすくんでしまい、結局本願寺と毛利の援軍が来るという希望の中で籠城をすることを決めざるを得ませんでした。
関連図書
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