2014年3月18日火曜日

播磨灘物語(2)村重

官兵衛が阿閇城の戦いで毛利・雑賀党を駆逐し、宇喜多直家を調略している頃、荒木村重の謀反ということが起こりました。もし、ここで荒木が謀反ということになると、秀吉・官兵衛は地理的に西から毛利→宇喜多→小寺(秀吉・官兵衛)→別所→荒木という状況になり、完全に戦略的に孤立してしまいます。


秋浅く

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荒木謀反の噂


荒木の支配圏は、東から
  • 高槻城
  • 茨木城
  • 伊丹城(有岡城):ここが荒木村重の本拠
  • 尼崎城
  • 花隈城
となり、淀川以西となります。ここで荒木が反乱を起こすと、羽柴・官兵衛は毛利にも挟まれるということになり、非常に厳しい状況に置かれます。

荒木の反乱については諸説があり、一つは信長に対する信頼感が荒木の中で低下してしまったこと。これは殿中での信長の村重に対する悪戯に端を発するもので、この悪戯で村重がやりきれない思いをもったということ。

それと織田の本願寺攻めの時に、荒木の足軽が本願寺側に米などの食料を融通していたということが露見したという事件があり、信長が疑うのではないかという動揺をしたということ。

あるいは村重の子城である花隈城が毛利にあっさり落とされてしまったという事実。一方で官兵衛が阿閇城の戦いで毛利・雑賀党を海に追い落としているのに、村重がこの体たらくと言われても仕方がないもので、実は毛利を引き入れたのではないかと疑われても仕方がないというもので、この3点からも荒木は謀反するのかという噂が流れてしまったということだと思います。

宇喜多直家への調略


一方で宇喜多直家の調略は進んでいて、直家は羽柴への使者として有名な小西行長を使いました。小西行長は小西隆佐の子で、元々は海外を行き来する商人の息子でした。この辺りで、信長の反対ということもありましたが、宇喜多直家は織田方に寝返ったことで、羽柴・官兵衛側には直接西側の脅威がやや減ったというところがありました。

以前より謀反の噂がある荒木に対して、信長は明智光秀、松井友閑、万見仙千代を使者に立てて、伊丹に向かわせました。一度信長に釈明をした方がいいという提言で、荒木もそれをうけいれたのですが、茨木城主の中川瀬兵衛の反対で、安土に行くことをやめて、伊丹城に戻ってしまいました。瀬兵衛の反対は、信長が村重に対して安土城に入ったらその場で殺してしまうということが信長周辺で言われているという情報を萱野弥九郎から聞き出したためでした。

結局、伊丹城に籠ってしまった荒木に対して、信長自ら征伐軍を立ち上げて、その指揮者になったほどで、いかに信長がこの荒木謀反ということに対して深刻に受け止めていたかわかるし、後に凄惨な処刑を荒木方に信長は行うのですが、それほど危機感を持っていたということだと思われます。



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