2014年3月13日木曜日

播磨灘物語(2)三木城


別所氏の本拠である三木城は、加古川城の北東に位置していて、更にその東が今で言うと、神戸市、西宮市、大阪の伊丹市という位置になります。ここに別所賀相が中心となって、織田との戦いを決めてしまいました。


加古川評定


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織田との戦いについては、羽柴が別所を見下したということを根拠にしていますが、別の見方として司馬遼太郎さんが以下のことを書いています。
この時代の調略の例からみて、別所氏に調略の手を入れつつある毛利氏は、当然、有力な家老をねらう。この賀相に対し、
ーもし別所氏を毛利に味方させれば、あなた一カ国の国主にしたい。
と約束ぐらいはしたであろう。
僕もそう思いますね。この当時の織田と毛利のやりとりは調略戦もあって、織田は羽柴秀吉、実際の実行者は黒田官兵衛、毛利は安国寺恵瓊の熾烈な情報戦をしていたと思います。この播州については安国寺恵瓊が勝ったけれども、宇喜多直家を織田方に引き込んだのは官兵衛でした。

また、当時の状況として

  • 前将軍の足利義昭が反織田の宣伝をしている
  • もちろん毛利も安国寺恵瓊を中心にいかに織田が悪であるかということを伝えまわっている
  • 本願寺がやはり反織田を貫いている。
  • 信長自身が旧勢力をすりつぶすという方針を固めている

ということもあって、古い体質を濃厚に持つ別所氏が毛利につくというのは必然のことでもありました。しかも、当時は宇喜多直家は毛利から信頼をされていないものの、一応毛利方であり、別所と宇喜多で羽柴・黒田を挟み撃ちにすればいいじゃないかという戦略が当然たちます。(ただ、この時には宇喜多を調略中で織田方に転びそうな状況まで話し合いが進んでいた。)

秀吉からは、別所重棟を通じてこのたび西国発向については長治ご案内者とあるについて秀吉は罷り下ったのである。長治があくまでも大将である旨の手紙を長治に送ったけれども、返事もなく、逆には別所方はこれは羽柴の狼狽と解釈して、長治をして織田との断交を決め、その旨の手紙も返信しました。

【三木城の行き方】

神戸三宮から行き方としては、(9時頃スタートするという想定で)
三木城跡上の丸公園へのルート
三宮駅(阪急)
兵庫県
三宮駅(阪急)
地下鉄神戸高速鉄道
 
150円
通勤特急 新開地行
9:10 - 9:17 (7 分、 3 駅)
新開地駅
地下鉄神戸高速南北線
 
各停 粟生行
9:22 - 9:23 (1 分、 1 駅)
湊川駅
電車神戸電鉄有馬線
(直通) 
590円
各停 粟生行
9:23 - 9:36 (13 分、 4 駅)
鈴蘭台駅 (4 番線)
電車神戸電鉄粟生線
(直通) 
各停 粟生行
9:38 - 10:10 (32 分、 12 駅)
三木上の丸駅
徒歩
 
三木城跡上の丸公園 まで歩く
約 4 分 (260 m)
三木城跡上の丸公園



1時間ちょっとといった感じですね。三木城は三木上の丸駅から大変近いです。地図を貼っておきます。




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