2014年3月26日水曜日

播磨灘物語(3) 別所衆

官兵衛は、1月ほど有馬で静養をしましたが、波多野氏、荒木氏が滅び、もう少し静養するように言われましたが、三木城が陥落した後に帰陣をしたのでは、本人の面目も立たないので、早々に三木城に向かいました。

2014年3月25日火曜日

播磨灘物語(3) 夏から秋へ〜村重の落去

この時期、織田軍が進めている作戦は4つで、対本願寺、対三木城、対荒木、対波多野氏で、この4つの勢力の共通点は毛利氏と手を組んでいるというもので、彼らは毛利からの支援があるということもあり、織田との戦いに踏み切ったという側面があり、毛利もできるだけそれに答えようと、必死の努力を重ねていました。

2014年3月24日月曜日

播磨灘物語(3) 藤の花房

官兵衛は相変わらず牢に閉じ込められたままの状態にあり、茨木城、高槻城を傘下に収めた織田軍は、伊丹城(有岡城)の総攻撃を天正6年12月8日に行った。結局この有岡城の戦いはこのあと9ヶ月続く事になります。

2014年3月20日木曜日

播磨灘物語(3)摂津伊丹2

信長にあっさり切られてしまった官兵衛でしたが、それ以上に追い込まれたが高山右近で、荒木を裏切らなければ、尽くキリスト教を潰すということは、敬虔な信者である右近は相当きつい状況に追い込まれました。

播磨灘物語(3)御着城〜摂津伊丹1

荒木村重が謀反をしたことで、官兵衛の立場が実に微妙な状況になりました。それは、官兵衛の主君である小寺藤兵衛が、裏切るのではないかということでした。

2014年3月18日火曜日

播磨灘物語(2)村重

官兵衛が阿閇城の戦いで毛利・雑賀党を駆逐し、宇喜多直家を調略している頃、荒木村重の謀反ということが起こりました。もし、ここで荒木が謀反ということになると、秀吉・官兵衛は地理的に西から毛利→宇喜多→小寺(秀吉・官兵衛)→別所→荒木という状況になり、完全に戦略的に孤立してしまいます。

2014年3月17日月曜日

播磨灘物語(2)秋浅く

織田と毛利の上月城をめぐるにらみ合いは、尼子勝久の切腹、山中鹿之介の降伏もあって、終了し、播州は織田軍の兵隊で充満しました。播州に来ている織田軍は、織田信忠を総指揮官としてその参加に、秀吉、滝川一益、明智光秀、荒木村重、筒井順慶、稲葉長通、峰屋頼隆、信長の次男信雄、信孝らでした。


2014年3月14日金曜日

播磨灘物語(2)風の行方



別所氏が織田氏と対決することを決めて、その別所系となる豪族の名前と地域をチェックしてみましょう。黄色が別所系の城で織田としてはこの黄色の城群を攻撃して潰していく必要がありました。

2014年3月13日木曜日

播磨灘物語(2)三木城


別所氏の本拠である三木城は、加古川城の北東に位置していて、更にその東が今で言うと、神戸市、西宮市、大阪の伊丹市という位置になります。ここに別所賀相が中心となって、織田との戦いを決めてしまいました。

2014年3月12日水曜日

播磨灘物語(2)加古川評定

秀吉が、上月城、佐用城を落としたことを報告するべく、安土に向かい、その後本拠の長浜に戻って、兵を集めて、結局7500人の兵を引き連れて播州入りをしました。今後の対毛利戦についての打ち合わせを播州の豪族とするべく、加古川で会議を開くことになりました。

2014年3月11日火曜日

播磨灘物語(2)半兵衛

官兵衛はここで運命的な出会いをします。それは竹中半兵衛重治と進行を深めるに至るのは、この秀吉の姫路入りからです。

2014年3月7日金曜日

播磨灘物語(2)播州騒然


羽柴秀吉は天正5年10月19日に播州に向かうべく、安土城に勢揃いしました。

2014年3月4日火曜日

播磨灘物語(2)野装束

天正に入ると、織田家は色々と大変になります。巨大な敵である上杉謙信との対峙。松永久秀の裏切り。本願寺や毛利との戦いでの惨敗。そのため、秀吉や明智光秀は多忙を極めていきます。

2014年3月3日月曜日

播磨灘物語(2)信長〜英賀の浦

官兵衛は信長の元に行くことになり、ここから官兵衛の人生が大きく変わる出会いがあり、本書は更に面白くなってきます。

2014年3月1日土曜日

播磨灘物語(1)の口コミをチェックしてみました

播磨灘物語(1)は、主人公は黒田官兵衛ですが、今までお話をしてきたようになかなか本人が出てきません。まずは、黒田家の成り立ちとはどういうものだったのかということを詳細に記して、官兵衛を登場させています。これは僕は思うに、小寺の渦中において官兵衛は一部から極端に嫌われたということを、敢えて読者に知らせるという目的があったのかと考えています。