2014年3月14日金曜日

播磨灘物語(2)風の行方



別所氏が織田氏と対決することを決めて、その別所系となる豪族の名前と地域をチェックしてみましょう。黄色が別所系の城で織田としてはこの黄色の城群を攻撃して潰していく必要がありました。

風の行方


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別所の考え方としては、東にいる別所と西の毛利が間にいる羽柴・黒田を挟み撃ちにしてしまえというものでした。


これに対して羽柴・黒田は、とりあえず別所は相手にしない。西の毛利に対して秀吉軍7500人を使うという方針を固めました。ただ、三木城から別所氏が攻撃してきた場合に備えが必要なので、その人数を播州に寄越して欲しい旨を信長に伝えねばならず、その死者として竹中半兵衛が行くことになりました。また、信長の援軍を収容する城を作らねばならないということもあり、書写山をその収容場所としました。場所は姫路城の北西に位置します。
したがって、ここでの作戦をもう一度整理すると、
  • 羽柴軍本体は書写山を本拠として、対毛利戦に備える
  • 信長からの援軍は、三木城の監視をする
というものでした。



そして攻略として、まず野口城を攻めて、城主の長井氏が降伏。一方毛利氏も三木城を救うべく動きました。その数宇喜多氏を加えて3万5000。最終的には5万の兵が上月城を囲みました。

そうこうしているところに、荒木村重率いる2万人の救援軍団が4月末に書写山に到着をし、その後上月城の東にある高倉山に羽柴・荒木軍の本営を置くことにしました。

そして、毛利軍と織田軍がほぼ同数兵力のままにらみ合いというということになり、ここで決戦をするために秀吉は信長の出馬を何度も依頼するものの、信長は播州にきません。この辺りは、信長が毛利との決戦を怖がったと司馬さんは書いています。

数ヶ月両軍が睨み合うまま、このままでは埒が明かないということもあって、秀吉は信長の出馬を頼みにわずかの伴を連れて、京都にいる信長にその旨を伝えると、信長の解答は上月城は捨ててしまえという命令でした。これは信長独特の合理性から来てるもので、数百人しかいない上月城に引っかかっていないで、別所系の城を一つ一つ潰していけというものでした。

秀吉や官兵衛はこの信長の判断は世間の信用を損ねるという点で反対でした。これは、尼子氏が自家の再興をするために織田家を頼ってきているのに、織田家の都合でそれを切ってしまうと織田の評判が悪くなり、その後の戦いに支障をきたすというものです。しかし、絶対命令者である信長に逆らえるはずもなく、上月城にこもっていた尼子勝久は切腹、山中鹿之介は降伏、秀吉軍は6月に陣を払いました。


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