2014年8月8日金曜日

竜馬がゆく(4)神戸海軍塾

越前藩が5000両を神戸海軍塾への投資を決め、その報告をしに、竜馬は勝海舟がいる神戸海軍塾の普請場に戻りました。しかし当時普通の漁村であった神戸に着目した勝海舟の眼力はさすがという感じがします。



神戸海軍塾


神戸海軍操練所は神戸市のサイトによると、神戸市中央区新港町周辺にあったそうです。



ここに行くには、三宮から神戸新交通ポートライナー線で5分程度のところにポートライナー駅から徒歩10分ほどです。



この史跡に行くには三宮を拠点にするのが便利だし、三宮は元町もあるので、食事も楽しめます。おすすめのホテルを何件かピックアップします。

三宮ターミナルホテル



神戸東急イン



ダイワロイネットホテル神戸三宮



話を、竜馬に戻しますが、この海軍操練所ができるのは文久4年になるので、この時点(文久3年)ではまだ幕府においても行政化されていませんでしたが、竜馬は「市立勝海舟塾」として塾生を集めることにしました。この時に入塾した人物は明治維新後も政府で活躍したものがいて、著名なところだと、

伊東祐亨:日清戦争の聯合艦隊司令長官


陸奥宗光:日本史上最高の外務大臣と言われる


伊東は薩摩、陸奥は紀州徳川家の浪人で、いわゆる土佐藩の人物がそれほどメジャーにならなかったというのは面白いですね。なお、陸奥の奥さんは美人で有名で、ワシントン社交界の華と言われたそうです。
陸奥亮子
有名な写真です。
山内容堂

歴史的には、土佐藩の老公山内容堂が藩政に復帰をして、勤皇派の弾圧を始めました。これがきっかけで、土佐勤王党は崩壊します。

ちなみに山内容堂のことをかいた司馬さんの作品に「酔って候」という作品があります。