2014年8月18日月曜日

竜馬がゆく〈4〉片袖

竜馬にも土佐藩の藩吏が神戸海軍塾まで来て帰国を命じました。もちろん、これは竜馬だけではなく、海軍塾にいる土佐藩のものをしょっぴいて、武市半平太同様投獄することが目的でした、竜馬はあっさり拒否、自動的に脱藩という形になりました。さすが^^



片袖

藩の帰藩命令に背いた竜馬は、またもや浪人に逆戻りをして、早々に京都にいる勝のところに行き、朝廷での長州勢力が一掃され、本藩の佐幕化に伴い、行き場所失った勤王浪人の救出策として、北海道屯田兵団を作ることを思いつき、勝のその話をして協力する旨の言質を得て、長州藩に匿われている土佐浪人北添佶摩にその相談を持ちかけました。北添も竜馬の勧めもあり、北海道に行ったものの、入植はせずに革命活動をしたいということになりました。

竜馬はそのまま江戸に行き、海軍塾で使う練習用の軍艦の調達をするべく大久保一翁宅に行き、ここで観光丸を練習艦として使えるようになりました。そのまま桶町の千葉道場に。
観光丸:引用元Wikipedia

この観光丸については、結果的に歴史に名前を残したようで、Wikipediaにも登録されています。
観光丸
Wikipediaによりますと、この観光丸はその後明治政府のものとなり、明治7年に解体されています。

この項では、千葉道場のさな子が竜馬に対して、おそらく司馬さんの創作だと思いますが、求愛をします。さな子自身自分が竜馬のいいなづけであったということを晩年話をしていたのは本当のようですが。

さな子はその後自由民権運動家の小田切賢明との縁があり、死後小田切家の墓地のある清運寺に墓碑を建立され、その墓碑には坂本龍馬室と掘られています。

千葉さな子墓所:引用元甲府市観光情報
千葉さな子墓所:引用元甲府市観光情報
このお墓は確かに坂本龍馬室と書いてありますね。小田切がさな子の思いを知って、墓碑に彫り込んだんでしょうね。いい話だと思います。この甲府の清運寺は甲府駅から歩くと15分ほどですが、バスも出ています。

徒歩:甲府駅より約15分
バス:甲府駅南口3番バス停より乗車
朝日5丁目で下車し、徒歩5分

甲府のホテルは

サンパークホテル内藤が駅に近くておすすめです。



このさな子と小田切賢明らの関係については、司馬遼太郎さんが何冊かコラムにまとめていて、そちらをご紹介します。


さな子も竜馬と知り合うことで、結局その後数奇な人生を送ることになりますが、それが彼女にとって良かったことか悪かったことなのかはわかりませんが、幸せだったように個人的には思います。