2014年8月11日月曜日

竜馬がゆく〈4〉 物情騒然

土佐藩では隠居をしていた山内容堂が、藩政に復帰しして、勤皇派を弾はつし始めました。まずは青蓮宮の令旨で土佐藩をトップを勤皇派に変えたということで、平井収二郎、間崎哲馬、弘瀬健太に5月に下獄し、6月に切腹を命じました。



物情騒然

中島信行;引用元;Wikipedia

この3人の切腹について、京都の河原町藩邸で後の海援隊のメンバーになる中島作太郎、のちの信行がその時の状況を竜馬に伝えました。

この時期、長州が外国に対して砲撃を加えたことで、その報復ということで、アメリカ、フランス、イギリス、オランダによる長州攻撃が行われ、長州が完膚なきまでに敗北するという馬関戦争が起きており、攘夷がいかに無知によるものかということを長州上層部が気づき、

高杉晋作を起用、高杉もここで奇兵隊の構想を言上し、即座に裁可され、高杉は敗戦の翌日に奇兵隊を創立しました。

【司馬遼太郎さんの高杉晋作の本】

竜馬は、河原町から伏見に向かいました。距離的にはというと、Google Mapsで計測をしてみると、徒歩で1時間50分弱かかります。電車でしたら


京阪本線の祇園四条駅から中書島まで、12分で到着してしまいます。