2014年8月25日月曜日

竜馬がゆく〈5〉流 燈

竜馬は江戸の千葉道場で池田屋ノ変の詳細を知りました。その後、勝海舟宅に行き、翌日には神戸塾での事態の収拾のため大阪に向かうことになりました。





流 燈


池田屋ノ変によって竜馬が東奔西走していた蝦夷地への攘夷志士の入植計画、神戸の海軍塾の拡充は一挙に霧散してしまうことになります。池田屋の知らせがあった翌日、竜馬は勝海舟宅に行き、翌日大阪に向かうことになりました。

竜馬が神戸の海軍塾に戻ると、土佐系のかなり動揺をしていたものの、竜馬が戻ることで少し落ち着きました。

一方で京都では長州軍が集結していました。陣地の場所としては
北:嵯峨天竜寺陣地
南西:天王山陣地
南東:長州藩伏見藩邸陣地
となります。


この3つの陣地の長州軍が決めたことは、18日夜半に3隊が行動を起こして、禁門に迫るということを申し合わせました。ここに有名な蛤御門の変が始まりました。僕はここを何度も訪れましたが、未だに蛤御門には銃弾の跡があります。

地図的に言うと、京都御所の西、護王神社の真向かいに近い。






ここに幕府軍5万人と長州軍が激戦をしましたが、薩摩藩が加勢し、来島又兵衛が川路正之進に狙撃されることで、長州軍は壊滅しました。この壊滅で有名な久坂玄瑞も寺島忠三郎とともに太刀を抜きあって刺し違えて死んでいます。また、この戦乱によって民家が3万8千件が焼失しました。

蛤御門へ行くのにおすすめのホテル

京都国際ホテル






タクシーでも10分程度で到着します。