2014年8月19日火曜日

竜馬がゆく〈4〉元治元年

大久保一翁から預けられた神戸海軍塾の練習船観光丸で神戸に戻ると、勝海舟から大阪に来いということだったので、練習を兼ねて神戸から大阪城まで観光丸で向かいました。

2014年8月18日月曜日

竜馬がゆく〈4〉片袖

竜馬にも土佐藩の藩吏が神戸海軍塾まで来て帰国を命じました。もちろん、これは竜馬だけではなく、海軍塾にいる土佐藩のものをしょっぴいて、武市半平太同様投獄することが目的でした、竜馬はあっさり拒否、自動的に脱藩という形になりました。さすが^^

2014年8月15日金曜日

竜馬がゆく〈4〉江戸の恋〜惨風

京都で朝廷から長州勢力が一掃される自体になり、神戸海軍塾では塾生が動揺しましたが、竜馬はくれぐれも暴発するなと言い含めて、今や事務官僚の府となっている江戸に向かいました。

2014年8月14日木曜日

竜馬がゆく〈4〉京の政変

この時期は文久3年。西暦で言うと1863年でこの年の8月にいわゆる朝廷の長州勢力を一掃する薩摩と会津が首謀した8月18日の政変がおこりました。この項ではどういうことが元も原因で、それがどういう結果になったかと言うことがよく書かれています。

2014年8月12日火曜日

竜馬がゆく〈4〉 東山三十六峰

寺田屋にいる竜馬に、新選組の藤堂平助が訪ねてきました。先日、竜馬と新選組がやりあっている場にいたということもありましたし、北辰一刀流では竜馬と平助は先輩後輩の関係ということもありました。そこで清河八郎が暗殺されたことを竜馬は知りました。

2014年8月11日月曜日

竜馬がゆく〈4〉 物情騒然

土佐藩では隠居をしていた山内容堂が、藩政に復帰しして、勤皇派を弾はつし始めました。まずは青蓮宮の令旨で土佐藩をトップを勤皇派に変えたということで、平井収二郎、間崎哲馬、弘瀬健太に5月に下獄し、6月に切腹を命じました。

2014年8月8日金曜日

竜馬がゆく(4)神戸海軍塾

越前藩が5000両を神戸海軍塾への投資を決め、その報告をしに、竜馬は勝海舟がいる神戸海軍塾の普請場に戻りました。しかし当時普通の漁村であった神戸に着目した勝海舟の眼力はさすがという感じがします。