2014年4月4日金曜日

播磨灘物語(3)野火

官兵衛は、三木城のことが落着したということもあり、また、秀吉から西播州の代官を少しの間やってくれという気配りもあったので、まず御着城に入り、その後姫路城に入りました。

野火

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すでに本丸には父の宗円、息子の松寿丸が迎え出ていて、ここで幽閉以来父と息子に再会をしました。

今後の対毛利の拠点として、官兵衛は秀吉に姫路城を使うことを強く進言し、官兵衛本人は姫路よりも更に北の山崎に城を持つことをのぞみました。ここを選んだ理由としては、姫路から鳥取へ向かう際の通り道になり、兵站の基地として絶好の場所だったからです。ここで官兵衛は秀吉より
  • 以福井庄6200石
  • 岩見庄2700石
  • 上伊勢・下伊勢村1100石
を与えられ、実質的に秀吉の家来となりました。
この地図を見ると、確かに姫路から鳥取に向かうときにその中継地として山崎があるので、その点から見ても、この場所は最適の場所ですし、それを選んだ官兵衛に対する秀吉の評価は更に上がったと思われます。

この時期は、織田と本願寺との間に朝廷が入り、講和しました。このことで官兵衛も門徒の反乱を作戦の中の計算の中に入れなくても済み、直接鳥取作戦に取り組むことが出来ました。また、宇喜多直家への調略も前進しました。

天正9年6月秀吉の軍勢2万は鳥取城を攻めるべく、姫路城を出発。そしていつもの秀吉の戦い同様、鳥取城を包囲し、結局鳥取城も飢えのため落城しました。その間、信長からは秀吉に対して、四国を何とかしろという命令が来て、多忙な秀吉は官兵衛に代官を命じ、官兵衛も四国へ向かいました。
仙石権兵衛

その前に淡路を取るということが官兵衛と秀吉の間で取り決められており、予め家来の仙石権兵衛をすでに淡路島に派遣していました。そこで秀吉からの依頼で、権兵衛を教育して、一人前の武将に育ててもらいたいというものがありました。


官兵衛は、明石から淡路の岩屋城にはいりました。降伏させる相手は、岩屋城から南にある安宅氏の居城、洲本城と由良城でした。

この安宅氏は形だけの戦いで降伏開城しました。その更に西に向かい、志知城を阿波攻略のために拠点としました。


官兵衛は淡路島の南西にある志知城を拠点として、阿波攻略を開始しました。
攻略をした相手としては
篠原自遁
十河存保
その後、阿波に移り、篠原自遁の居城撫養城を阿波攻略の拠点としました。






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