2014年4月7日月曜日

播磨灘物語(3)山陽道

天正10年、中国の戦いに一段落ついた羽柴秀吉は、安土の信長に対して歳暮を届けました。その歳暮は、秀吉が新占領地で得た富をすべて持ち込んでくるような、大掛かりなもので、信長は秀吉のことを大気者といって大いに喜びました。

山陽道

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一方、毛利側としては本来天下を狙わないというのが家法であり、毛利領土保全主義というものでしたが、信長の意中が毛利家を根こそぎ滅亡させるというものであったので、家をあげて織田と闘うという方針を固めていました。

以下、中国の勢力地図を確認してみます。
北より
  • 宮地山城
  • 冠山城
  • 高松城
  • 日幡城
  • 加茂城
  • 庭瀬城
  • 松島城

が毛利方の最前線で、ここより西に小早川隆景の居城三原城があります。秀吉たちはまずこれらの城を落とす必要がありました。これらの城の攻略の拠点が宇喜多家の岡山城となります。この当時すでに宇喜多は織田方となり、直家はすでに死んで、秀家の代となり、その秀家のバックボーンが秀吉になっていました。



秀吉は官兵衛と蜂須賀小六に対して、高松城の城主清水宗治を調略するよう指示をしましたが、こちらも調略に落ちることもなく、結局決戦することになりました。


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