2014年8月26日火曜日

竜馬がゆく〈5〉変転

蛤御門の変が終わり、幕府は長州狩りをはじめました。蛤御門の変で長州側には土佐浪人が参加したということもあり、神戸海軍塾にも幕府の手が入る気配となってきました。また、この項ではついに薩摩の西郷と竜馬が会談をします。





変転


この時期、勝は大阪城にいて、薩摩の西郷隆盛が早く長州征伐をしろと訪ねてきました。ここで西郷は勝から列藩同盟で日本を救えと言われ、衝撃を受け、竜馬に会うよう促し、その後竜馬に対しても西郷に会うよう促しました。

竜馬は、その後京都の綾小路の薩摩藩邸に西郷を訪ねて、ここでお互いに初対面で認め合うということになり、後日勝が竜馬に西郷隆盛の感想を尋ねると、
われ初めて西郷を見る。その人物、茫漠としてとらえどころなし。ちょうど大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る。
といい、勝はそれを聴いて喜び
評するも人、評せらるるも人
と大いに感嘆したそうです。これは、西郷も竜馬も人物であるという勝のすごい褒め言葉でもあります。

この項では、初めて薩摩藩の人が出てきます。
西郷隆盛
吉井幸輔
中村半次郎
です。
西郷さんはもう歴史上の人物として実に有名です。関連図書は山ほどありますので、ここでは敢えて紹介をしません。

吉井幸輔(吉井友実)
吉井幸輔(引用元Wikipedia
吉井は西郷や大久保利通の古い盟友として薩摩藩を勤王化に尽力をして、幕末においては西郷さんの手足となって大活躍をしてます。戊辰戦争においても多大な功績をあげて、賞典禄を1000石下賜されています。この1000石がどれだけ大きかったかというと、彼の上にいるのは一般節としてはは西郷、大久保、桂小五郎、広沢真臣しかいないということからもわかります。

中村半次郎(桐野利秋)
中村半次郎(桐野利秋)(引用元:Wikipedia
幕末時は人切半次郎と恐れられた西郷隆盛の用心棒的存在でしたが、天性の勘と頭の良さもあり、明治後はいきなり陸軍少将になります。この頃の陸軍少将という役職は、当時の幕府で言えば老中とか若年寄クラスの存在だったので、大抜擢といえます。後に、西郷隆盛が征韓論で政府をやめて、下野すると同時に陸軍を退職。明治10年の西南戦争は事実上彼が起こして、結果的に西郷を死に追いやったと言っても過言ではありません。

ただ、僕はこの人は結構好きで、さっそうとしている所もあるし、西郷さんに引き立てられたと言うことがあったとしても、結果的に西南戦争を起こした人物ということで、それなりの人物だったと思います。彼のことは司馬さんの本ですと、「翔ぶが如く」に最もよく登場します。(副主人公に近いかもしれません)