2014年8月28日木曜日

竜馬がゆく〈5〉摂津神戸村〜薩と長〜元治の暮

蛤御門の変によって長州が惨敗し、神戸海軍操練所からも多くのものが長州軍に参加をしたということもあり、神戸海軍操練所は解散、勝海舟も江戸に召喚が決定し、更には幕府は長州征伐も決めました。

2014年8月27日水曜日

竜馬がゆく〈5〉菊の枕

竜馬は風のように伏見の寺田屋に戻って来たのはいいけれども、何か浮かない表情だったので、お登勢と問答を繰り返していると、神戸の海軍操練所の解散が決まり、そのため竜馬が浮かない表情だったのです。

2014年8月26日火曜日

竜馬がゆく〈5〉変転

蛤御門の変が終わり、幕府は長州狩りをはじめました。蛤御門の変で長州側には土佐浪人が参加したということもあり、神戸海軍塾にも幕府の手が入る気配となってきました。また、この項ではついに薩摩の西郷と竜馬が会談をします。

2014年8月25日月曜日

竜馬がゆく〈5〉流 燈

竜馬は江戸の千葉道場で池田屋ノ変の詳細を知りました。その後、勝海舟宅に行き、翌日には神戸塾での事態の収拾のため大阪に向かうことになりました。

2014年8月21日木曜日

竜馬がゆく〈5〉池田屋ノ変

勝海舟に江戸へ来いと呼ばれて江戸に向かった竜馬ですが、京都では来島又兵衛や長州周辺の様子がおかしいということで、新選組が探索を始めました。これがきっかけで古高俊太郎が逮捕され、これが元で池田屋ノ変がおこり、時代は一気に流動化します。

2014年8月20日水曜日

竜馬がゆく(5)防長二州

この項では、長州の来島又兵衛が主役になります。禁門の変を引き起こした中心人物ですが、愛すべき人柄のエピソードもたくさんある人です。僕も結構この人のことは好きですね。

2014年8月19日火曜日

竜馬がゆく〈4〉元治元年

大久保一翁から預けられた神戸海軍塾の練習船観光丸で神戸に戻ると、勝海舟から大阪に来いということだったので、練習を兼ねて神戸から大阪城まで観光丸で向かいました。

2014年8月18日月曜日

竜馬がゆく〈4〉片袖

竜馬にも土佐藩の藩吏が神戸海軍塾まで来て帰国を命じました。もちろん、これは竜馬だけではなく、海軍塾にいる土佐藩のものをしょっぴいて、武市半平太同様投獄することが目的でした、竜馬はあっさり拒否、自動的に脱藩という形になりました。さすが^^

2014年8月15日金曜日

竜馬がゆく〈4〉江戸の恋〜惨風

京都で朝廷から長州勢力が一掃される自体になり、神戸海軍塾では塾生が動揺しましたが、竜馬はくれぐれも暴発するなと言い含めて、今や事務官僚の府となっている江戸に向かいました。

2014年8月14日木曜日

竜馬がゆく〈4〉京の政変

この時期は文久3年。西暦で言うと1863年でこの年の8月にいわゆる朝廷の長州勢力を一掃する薩摩と会津が首謀した8月18日の政変がおこりました。この項ではどういうことが元も原因で、それがどういう結果になったかと言うことがよく書かれています。

2014年8月12日火曜日

竜馬がゆく〈4〉 東山三十六峰

寺田屋にいる竜馬に、新選組の藤堂平助が訪ねてきました。先日、竜馬と新選組がやりあっている場にいたということもありましたし、北辰一刀流では竜馬と平助は先輩後輩の関係ということもありました。そこで清河八郎が暗殺されたことを竜馬は知りました。

2014年8月11日月曜日

竜馬がゆく〈4〉 物情騒然

土佐藩では隠居をしていた山内容堂が、藩政に復帰しして、勤皇派を弾はつし始めました。まずは青蓮宮の令旨で土佐藩をトップを勤皇派に変えたということで、平井収二郎、間崎哲馬、弘瀬健太に5月に下獄し、6月に切腹を命じました。

2014年8月8日金曜日

竜馬がゆく(4)神戸海軍塾

越前藩が5000両を神戸海軍塾への投資を決め、その報告をしに、竜馬は勝海舟がいる神戸海軍塾の普請場に戻りました。しかし当時普通の漁村であった神戸に着目した勝海舟の眼力はさすがという感じがします。

2014年8月7日木曜日

竜馬がゆく〈3〉京の春

丹虎で武市半平太と上京する勝海舟を殺すなと念を押した竜馬は、土佐藩河原町藩邸に戻り、岡田以蔵に同様のことを伝えました。しかし、以蔵は武市らに勝は奸賊であると教わっているということもあり、動揺します。

2014年8月5日火曜日

竜馬がゆく〈3〉 伯楽〜嵐の前〜海へ

後日、勝海舟が軍艦奉行並という幕府の高官にもかかわらず、軽々と桶町の千葉道場まで竜馬を迎えに行き、築地にある軍艦操練所に連れて行ってくれましたよ。