2014年4月18日金曜日

播磨灘物語(4)変報


6月2日、明智光秀が中国に向かう途中、今日に南下し、本能寺に織田信長及び信忠親子を襲うという本能寺の変が起こりました。具体的には信長は本能寺、信忠は妙覚寺に滞留していました。

変報

新装版 播磨灘物語(4) (講談社文庫)
司馬 遼太郎
講談社
売り上げランキング: 168


この難に幸運にも遭遇しなかった長谷川宗仁が飛脚を使って、秀吉に知らせ、その知らせを黒田官兵衛がその飛脚から直接聞きました。官兵衛はそれを秀吉に伝えるべく、蜂須賀小六を伴い、秀吉の寝室にてその手紙をわたし、秀吉はその手紙を読み終わると顔をあげたまま泣き出しました。
この時の司馬さんの表現がとても良いので引用します。
顔を上げた時の秀吉は、溶けた鉛でものんだように目も鼻も口もへし潰れたような表情をし、息も忘れているようであった。その表情が崩れ、顔をあげたまま泣きだした。
秀吉がいかにショックを受けたか、これほど的確な表現はないと思いますね。「溶けた鉛をのんだような」、凄くわかりやすい表現です。

ただ、秀吉がこの変報によるショックがあまりにも大きすぎてしおれてしまっているので、まず秀吉に対して英気を取り戻さねばならないということもあり、そのことについても、司馬さんの文章がとてもいいので、引用します。
伝承では、このとき官兵衛は微笑し、秀吉のひざをしずかにたたき、
さてさて天の加護を得させ給ひ、もはや御心の儘になりたり。
と、なぞのようなことをいった。
秀吉は不意に雷鳴をきいたように顔をあげ、とっさに意味をさとった。最も秀吉としては喜色をうかべるわけにもゆかず、
「ー仇討のことか」
と、別人のように目の下を紅潮させた。
ここで重要なのは、さてさて天の加護を得させ給ひ、もはや御心の儘になりたりという官兵衛の言葉で、これは、もうこれからはあなたの思うとおりに行動ができるではありませんかというもので、突き詰めれば、信長が亡くなったから、その次の天下はあなたが撮ればいいじゃないですかという、謎かけですね。それに対して、秀吉は一瞬にして分かったというところが、実にかっこいいところです。

官兵衛としては早急に毛利と講和をして、明智光秀との決戦をしなければいけないために、時を急ぎました。まず安国寺恵瓊と話をして、すぐに清水宗治に切腹させて戦いを終了させねばならず、多忙を極めました。

そして清水宗治は切腹する際に、嫡子源三郎宛に遺言を書きました。歌の調子になっていて、とても珍しいので、引用します。
「恩を知り、慈悲正直に願なく 辛労気尽し天に任せよ」
「朝起や 上意算用武具普請 人を使ひてことを慎め」
「談合や公事と書状と異議法度 酒に女に心乱すな」
というもの。
宗治の切腹には宗治以外には
月清(宗治の兄)
末近左衛門信嘉(毛利家から派遣された軍監)
が一緒に責任を取り、腹を切りました。当時の武士と言うのは、心構えが実に見事ですね。


その後秀吉は講和の誓紙を安国寺恵瓊の前で書き、血判をつきました。その誓紙を受け取った恵瓊は小早川隆景がいる日差山に向かいました。


新装版 播磨灘物語(4) (講談社文庫)
司馬 遼太郎
講談社
売り上げランキング: 168

【関連図書ー清水宗治関連】

備中高松城主 清水宗治の戦略
多田 土喜夫
吉備人出版
売り上げランキング: 877,800

湖上の城
湖上の城
posted with amazlet at 14.04.18
アイマーク出版 (2013-12-12)
売り上げランキング: 9,338